白刃で敵兵を斬り倒す馬上の武将、土煙舞い上がる中でつばぜり合い

繰り広げる雑兵たち!

刀を振るう戦国武士たちの合戦シーンは大河ドラマの見せ場です。

 

しかし合戦の場にあって刀は主要な武器ではありません。

主要な武器は、弓や鉄砲であり、あるいは礫(投石)だったようです。

飛び道具ですね。

 

敵兵と近接して戦う(白兵戦)時も、用いられた武器は槍、なぎなた

といった長柄のもの。

合戦において、刀はこうした長柄の武器を失ったときに使う補助的な

武器として使用されたようです。

刀身の短い刀より長い柄を備えた槍、なぎなたのほうが遠い間合いで

相手を攻められますので当然有利でしょう。

 

戦国時代、槍は徐々に長大化します。

当初3メートル程度の長さであった槍ですが、中には6メートルを

超えるものも登場します。

織田信長が考案したとされる3間半(6.4メートル)の長槍は有名です。

 

 織田信長肖像画

 

この長大な槍を持つ兵士が密集して並び、槍の穂先を揃える。

とても長い槍ですから、槍で相手の兵士を突くのではなく槍を

しならせ相手を叩きます。

敵味方で猛烈に叩きあう集団戦です。

敵の一部が崩れたとみれば、そこに突入し敵陣を混乱させます。

 

この長槍の集団を叩くためには鉄砲の投入が有効でした。

 

集団で鉄砲や弓を射かけて敵陣を崩す。

武士たちがその後個人戦に移るときも長柄の武器を

刀に優先して使用する。

刀の武器としての出番はあまりなかったようです。

 

鈴木眞哉氏著「謎解き日本合戦史」によれば、応仁の乱(1467年)

から島原の乱(1637年)までの合戦における戦傷者の戦傷の内訳では、

およそ75%が鉄砲、弓あるいは投石によるもの。

刀による戦傷は7%程度しかありません。

ちなみに鉄砲と槍による戦傷はそれぞれ20%と同程度になるそうです。

 

では刀はあくまで長柄の武器を失ったときに使う補助的な武器

としての役割しか無かったのでしょうか。

 

戦国武士は合戦場で手柄をあげるため戦いますが、その手柄を証明

するため、敵の首を取ることを目的とします。

刀は傷を負った敵の首を取るための、いわば切断の道具となりました。

 

打ち取った敵の首を持ち帰り、その首を味方の大将はじめ重鎮等が

検分します。

戦功の査定です。

当然その首の格?が高ければ査定ポイントも上がります。

 

「おあむ物語」という史料があります。

石田三成の家臣の娘が関ヶ原の戦いの体験を後の世に語った体験を

した筆談集で、壮絶な戦国の情景が語られています。

落城間際の大垣城でまだ10代であったその娘は、味方の兵が

持ち帰った敵の首に化粧を施します。

首を並べ、その歯にお歯黒を施す。

お歯黒がされた歯は高貴な身分を意味します。

首の格が上がる訳です。

 

以上、ちょっとダラダラと戦国の合戦についてでした。

最後までお読み頂きましてどうも有難うございました。