450年の間に、飢饉は169件、疫病は182件。その多くが同時

に起きており、重複分を合わせると400件余り。大まかに言えば、

中世の社会では記録されるほどの飢饉と疫病は、ほぼ毎年

のように起きている。

 

藤木久志「飢餓と戦争の戦国を行く」を読みました。

藤木氏は保元・平治の乱の直前(1150年)から

関ヶ原の戦い(1600年)までの450年間の災害記録を

データベースにし、同書の巻末に年表として載せている。

 

ほぼ毎年のように、日本のどこかで、時にはかなりの広範囲

にわたり、記録的な飢饉、疫病が起きている。衝撃的です。

 

また同書は450年の期間を、前半(源平の戦いから応仁の乱)と

後半(応仁の乱から関ヶ原の戦い)に分け飢饉と飢餓の分布を紹介。

前半期は3年から5年に1回の割合で、間欠的・集中的、

一方後半期は2年に1回の割合で、慢性的に発生しているとの傾向

を指摘している。

 

藤木氏は、戦国の世の戦争は、慢性的に起きている飢饉と疫病の中で

戦われてきたとの印象を述べています。

 

大坂夏の陣の屏風絵には略奪にはしる徳川方の雑兵たちの姿が描かれて

います。

戦国期、戦いの後には捕虜とされた人々を売り買いする‘市’が立った

と伝えられています。

 

飢餓、疫病、戦争 やはり戦国の世は想像以上に厳しい時代だった

のかもしれません。

 

 

 

大坂夏の夏の陣図屏風