高杉晋作は3度の脱藩を繰り返す。

3度目の脱藩から帰藩した高杉は英米仏蘭四か国の連合国艦隊

との講和を藩から命ぜられる。手には蛇の目傘を持ち、芸妓数人を連れて

講和の席に現れた高杉晋作は、巨額の賠償金を求める連合国側に対し、

長州藩がこれを払う道理なしとの主張を押し通す。

長州藩内の体制は幕府への恭順を主張するいわゆる俗論党が主流となっていたが、

晋作は創設した奇兵隊を結集し俗論党に戦いを挑む。これに勝利し、藩政は正義派

が握り、藩は再び尊王に復す。

その後幕府より第二次長州征伐の命を受けた松山、小倉などの諸藩が長州藩境に

迫ると、晋作はまさに神出鬼没な指揮を振るいこれを撃破。長州側が勝利を得る。

しかし結核に冒された晋作は29年の短い生涯を終える。

明治42年建立された高杉東行碑への揮毫を依頼された伊藤博文は、高杉晋作を評し、

「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し 衆目騒然として 敢て正視するものなし

此れ我が東行高杉君に非ずや」と記した。

 

 

 

まさに風雲急を告げる幕末期に時代をロックし、駆け抜けた高杉晋作を

モチーフとした高杉晋作 雷電風雨Tシャツを作りました。

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