*戦国グッズ・幕末グッズのお店 侍気分は2014年1月1日・2日の両日

鎌倉にて臨時出店致します。詳しくは侍気分HPをご覧ください。

 

 

 

 

イザベラ・バードという英国の女性旅行家がいました。

彼女は1878年に日本の東北地方を旅し、「日本奥地紀行」という本を

著しました。

恐らく東北を旅した最初の西洋人女性でしょう。

 

彼女は旅の先々で人々の好奇の目を集めます。

彼女が秋田の神宮寺村(現大仙市)に宿泊した時の様子について、

同著にこんな記述があります。

「神宮寺の宿屋に宿泊すると、夜中に人の気配がして目が覚めた。

およそ40人もの男女が部屋の障子を取り払い、私の寝姿を黙って

見入っていた」

当時の人々の好奇心は理解できるのですが、これは少し怖すぎます。

 

障子を外せば容易に宿泊者のプライバシーを覗きこめてしまう宿屋。

これは宿泊者にとって不安なことです。

 

ちょっと江戸の宿屋の話です。

バードが旅した明治10年の宿屋、江戸期のそれと変わらぬはずです。

 

江戸時代、一般の旅人が泊る宿屋は旅籠(はたご)と呼ばれます。

街道筋の宿場には本陣と称する宿屋がありましたが、こちらは大名や

公家など身分の高い人が利用するものです。

江戸も18世紀後半にもなれば、「伊勢参り」や「金毘羅参り」に

代表される「信仰の旅」から(あるいはこれを口実とした)、

「娯楽の旅」が盛んとなり、有名寺社の周辺や街道筋にも多くの旅籠

が並びます。

 

旅籠の多くは飯盛り女と称する娼婦をおいており、これをおかない

旅籠は平旅籠と区別されています。

他、宿泊の目的により宿屋の種類もいくつかありますが、一般的な

旅籠についてちょっと書きます。

 

相部屋はかなり普通にあったようです。

客で混雑すれば相部屋になり、全くの赤の他人と枕を並べて寝る

ことになります。

もっとも冒頭のバードさんの旅行記にもあるように、間仕切りに

ふすま・障子が利用され、壁がなかった旅籠ではプライバシーがない

という観点では相部屋でなくともあまり差がないのかもしれません。

となり部屋の声も筒抜けです。

 

当然ながら当時の旅人も特に相部屋になるときには、相宿の相手の

身なり、振る舞いを注意深く観察し用心を怠りません。

盗難も頻発していたらしいですから、用心が肝要です。

 

 

食事は晩飯と朝飯が提供され、頼めばお弁当も作ってくれます。

部屋食が一般的で、宿泊者が一堂に集まり食事をとるということは

なかったようです。

一部の料理宿(グルメ宿)を除けば、旅籠の料理はさほど大差なく

ごく普通であったようです。

 

 

元禄期には旅籠にお風呂がもうけられていたようですが、衛生上問題

のあったものも多かったようです。

沸かし湯にしてもどの程度の頻度で湯を沸かしていたかはなはだ疑問

で、小さな風呂桶に入れ替わりに宿泊者が入浴するのであまり衛生的

とは言えなかったようです。

 

 

寝具は敷布団一枚に掛布団が一枚。

寒ければもう一枚掛布団が提供されます。

この時代、シーツなどはなく、浴衣の提供も一般にはありません。

 

旅籠の寝具についていえば、ノミ・シラミが宿泊者を悩ませた記録が

多く残っています。

いったんお客がノミ・シラミを持ち込めば、有効な消毒薬のなかった

当時では根絶は困難だったのでしょう。

 

 

最後に気になる宿泊料金ですが、現在の価格でおおよそ45千円が

普通だったようです。

今のビジネスホテルの料金と比べると、同程度か幾分安めでしょうか。