「八重の桜」

綾野剛さん演じる病身の松平容保公が、

「武士の忠義を貫き通したかわりに、わしは会津を死地に追いやった」

との心情を打ち明けます。

これに答えて、玉山鉄二さん演じる山川浩は、

「あの時徳川を見捨てれば、‘まことの武士’などいなかったことに

なります。」と訴える。

 

ここ最近私が読んでいる江戸中期の本にも多くの武士が登場します。

戦国の世は遠くすぎ、武士の集団は行政機構となり、腰に差した刀も

武士身分を証明するバッジのようなものです。

彼らは侍のイメージとは随分と異なり、現代の会社員とその生態に

大きな差がないようです。

 

職場での人間関係、出世、単身での江戸赴任・・・

いくさの無い泰平の時代にマッチした振る舞いや人間関係が求められ

ます。

 

しかし武士はあくまでもその本領は戦士であり、また統治者です。

武士としての面目を保たねばなりません。

武士としての規範の順守が求められました。

 

長岡藩家老の河井継之助を描いた司馬遼太郎の「峠」。

そのあとがきにこう記述されています。

 

「ひとはどう行動すれば美しいか、ということを考えるのが江戸の

武士道倫理であろう。ひとはどう思考し行動すれば公益のために

なるかということを考えるのが江戸期の儒教である。この二つが

幕末人をつくりだしている」

 

「幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、

多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品

とまでいえるように思える」

 

中でも会津藩は江戸期においてもっとも士道の気風が徹底された

藩の一つでした。

 

西島秀俊さん演じる山本覚馬は言います。

「薩長にも義はあった」

 

山本覚馬

 

幕末期、

薩長、幕軍、会津・・・

掲げる義は異なっても、侍たちが多くのドラマを生み出します。

 

武士が姿を消して140余年。

 

今でも日本代表チーム、その呼び名は「侍ジャパン」ですね。