「大逆無道、天地に容る可からざる国賊に付き、天誅を加へん」


 文久二年(1862年)から文久三年にかけて京都で天誅テロ事件

が頻発する。


この時期を評して「暗殺の季節」とも呼ぶことがある。


天誅とは天に代わって悪人を誅罰するとの意味ですが、一般的には

文久年間以降に過激な攘夷派が主に京都を舞台に行った暗殺行為を

指します。



彼らは暗殺、脅迫等の行為を天誅という言葉で正当化しました。

 

天誅は徳川幕府が断行した安政の大獄への報復に始まった。


安政の大獄で反幕分子の捕縛に関わった者たちを暗殺し、続いて

佐幕派・公武合体派の公家や幕吏、富商なども天誅の対象とされた。



天誅の名のもとに京都で人斬りが続発。



京の都は暗殺の季節を迎える。


当時、京都における幕府の機関は、京都所司代と町奉行であったが、

これらの機関では尖鋭化する過激な攘夷浪士の捕縛やいよいよ複雑化

する朝幕関係を処理することができなくなっていた。


そのため京都に強固な支点を必要とした幕府は京都守護職を新設、

会津藩主 松平容保公を就任させ、都の治安回復を図る。


映画「るろうに剣心」で江口洋介さん演じる斉藤一が活躍する新選組

の結成もその一コマだ。


幕末、「人斬り~」と呼ばれ恐れられた4人の男がいた。



土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛、同じく薩摩の中村半次郎、

そして佐藤健さん演じる人斬り抜刀斎こと緋村剣心のモデル

となった肥後の河上彦斎だ。


右膝を折り曲げ、左足をさっと後ろに一直線に伸ばしざま、左膝が

地面にすれすれになるような姿勢をとり右手一本のみで片手斬りをする。


彦斎は得意とする抜刀術で幾多の暗殺に関与したとも言われていますが、

はっきりとその関与が確認されるのは佐久間象山暗殺の1件です。

 

 佐久間象山肖像写真

 

佐久間象山の暗殺後、肥後に帰国した河上彦斎は一時脱藩の罪で投獄

されるが、その後幕府が朝敵になると、藩はあわてて彦斎を出獄させる。


時代は彦斎の思惑を超え変化していた。


討幕を果たした新政府にとって彦斎のような頑迷な攘夷論者は迷惑な

存在となっていた。


かっての同志たちが目指す新政府の方向が欧米列強国をモデルとした

近代化にあることを知って愕然とした彦斎は、開国を是とする政府要人

を強く非難する。

 

「時勢により尊王攘夷の志を曲げることは決して出来ない」


天下権力を手中にした明治新政府にとって、河上彦斎は抹殺しなければ

ならない存在であった。

 

明治412月、彦斎は斬首される。


緋村剣心の宿敵である志々雄真実が明治政府に抱く恨みに通ずるかも

しれません。


彦斎が刑に処される前、面会に来た知人に語ったとされる話が残る。


「我らの同志に伝えてくれ。鍋の弦は曲げてこそものの役にたつ。

だがこの彦斎は好んで鍋の弦をまっすぐにして用いたため

今日の禍いとなった。」


 最後まで読んで下さり有難うございます。



 

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