中村主水の‘表家業’は南町奉行所定町廻り同心です。

 

江戸町奉行は南と北の2つに分かれており(確か中村主水は当初

北町奉行所勤務だったと思います)それぞれ奉行が1名ずつおり、

隔月で事件を担当します。

町奉行は司法(裁判所・牢獄)、警察(警視庁)業務を執り行う

のみでなく行政(東京都庁)担当もしておりますので、今で言えば

東京高等裁判所判事+警視総監+東京都知事の重要ポジションです。

 

大変多忙です。

 

町奉行の配下に与力、同心がいます。

江戸町奉行所の与力は南北各25名、同心は江戸末期で各120名。

このうち捕物(警察業務)に関係するのは、定町廻(じょうまちまわり)、

臨時廻、隠密廻の三廻の同心です。

 

中村主水さんはこの定町廻りの同心です。

 

 

 

ただこの三廻の同心の人数は僅かに25名程度(時代によって異なります)。 

これだけの少人数で江戸の治安が守られたのでしょうか?

 

江戸の町には実に見事な町政が布かれていました。

3名の町年寄と江戸の各町々を支配する名主そして家主との間で優れた

連携伝達機能が働き、高度な自治が可能でした。

奉行所の手を煩わさないで、かなりの程度で問題解決が可能だった訳です。

 

また銭形平次や伝七親分に代表される?目明し(岡引)の存在も忘れては

ならないでしょう

 

しかしこの目明し、どうも町人の評判はあまり良くなかったようです。

目明しは岡引の他、手先あるいは御用聞などとも呼ばれ、町奉行所の正式

な要員ではなく、あくまで同心の私的な使用人です。

 

彼らは江戸の裏事情に通じた元犯罪者の出身が多く、仲間の密告などで

罪を目こぼしされた者などが同心の手先となって犯罪者の検挙に働く

という事だったのですが、実態はゆすり、たかりの常習者が随分といました。

昔の悪人仲間を売ったりもしました。

 

嫌われ者にもなりましょう。

 

 石井良助著「江戸の刑罰」という本に随分と残酷な話が紹介されています。

 

目明しが罪を犯し、小伝馬町の牢屋に入牢するシーンです。

 

「モシ二番役さん、こいつは岡引で、ワーチラ二人はこいつのために縄目

に逢い、憂き目を見せられやした。どうぞ宜しくお願いします」

二番役さんは、牢名主と相談し、「この新入り(岡引)に御馳走を取らせよ」

と配下の囚人たちに命じます。

囚人たちは御馳走がこんもり盛られたお椀を岡引に渡して、

「これ神妙にいただけよ、遠慮すると、お替りつけるぞ、それ早く頂け」

 

岡引は食べます。容赦なく2つ、3つと岡引の前に椀が運ばれます。

 

皆さん、椀の中身はなんだと思いますか?

人糞です。

 

お食事前後の方、申し訳ありません。