徳川第2代将軍の秀忠は非常に謹直な人柄だったそうです。側室も一人も持たなかった。

生来の真面目な性格に加え、細君への遠慮のためです。細君は秀忠より年長で、秀吉の養女であり、また性格もかなり嫉妬深かったといわれています。細君はご存知江姫です。

そんな秀忠もただ1回、他の女性に手を付けた。相手はお静という大奥のあまり身分の高くないもので、この1回の浮気でなんと妊娠してしまいました。困った秀忠は大いに慌て、父家康の側室に事情を含んで、お静を預けました。そして生まれてきた男の子を家臣の保科正光に預けた。保科正光はこの男の子を自分の子として育てました。この子が成長して会津松平家初代藩主の保科正之となります。

保科正之公肖像画

 

この名君の誉れ高い会津藩藩祖が残した15箇条の家訓は度々八重の桜でも紹介されています。特に7箇条の「外で女子と話してはいけません」最後に加えて記された「ならぬものはならぬ」はすっかり有名になりましたね。