幕末、明治初年に日本を訪れた外国人は、日本の風俗、自然そして

とりわけ日本人の資質について概ね好意的な印象を抱いたようだ。



 



礼儀正しく、朗らかであり、そして慎み深く・・・



 



だが、ある風景を目にした彼らは一様に驚愕している。



男女混浴の風景です。



 

日本遠征記より 下田の共同浴場 ハイネ画

 



嘉永六年(1853年)黒船を率いて浦賀に来航したペリーは、帰国後著した

「日本遠征記」に 「町内には男女混浴の共同浴場があり、男女とも

赤裸々な裸体を何とも思わず、お互い入り乱れて混浴している有り様を

見ていると、この町の住民の道徳心に疑いを感ぜざるを得ない」と

記している。



 



安政三年(1856年)に来日、米国の初代駐日公使となったハリスは、



「何事についても間違いのない日本人が、何故このような品位に欠けた

ことをするのか理解に苦しむ」との印象を示した。



 



安政六年(1859年)に英国の初代駐日総領事に任命され訪日した

オールコックは、「日本の気候に根差した慣習の問題であり、男女が

一つ湯に浸りながらするお喋りは男女両性の権利と平等を認めている点で

評価できる」と分析力に富んだ?真面目なコメントを残している。



 



明治9年に来日し、大森貝塚を発見したことで名高いモースは、日光の

湯元温泉で同僚と温泉の温度を計測中に前日出会ったとても慎み深い2人の

娘さんが裸で風呂入っているのを発見。

2人の娘さんは動揺するモースに気が付くが、朗らかに「オハヨー」と

挨拶する。



 



この経験からモースは「態度は静かであり、気質も愛らしい日本人で

ありながら、彼らは裸体が不作法であるとは考えない。~ 

一方で我々外国人が彼らの国(日本)にないワルツのような踊りをしたり、

公衆の面前でキスをすることは、日本人に我々を不作法と思わせるだろう」

と記し混浴への理解を示している。



 



混浴の習俗はよほど外国人には衝撃的であったようで、混浴風呂の発見

あるいは体験の記述は実に多く残されています。



 



非難する人、理解を示す人、あるいは礼賛?する人



彼ら外国人が残した混浴風呂についての印象は様々です。



 



ところで世は文明開化の時代、国家の近代化を急ぐ明治政府は外国人に

日本人の道徳性について多少とも疑念を抱かせるこの混浴風呂という悪習!

を断固廃止するため矢継ぎ早に混浴(男女入り込み湯)の

禁止令を出します。



 



しかし政府の思惑通りには、混浴廃止の完全実施はなかなか進まなかった

ようです。



入浴客自身が混浴をさほど不都合とは思っていなかったことに加え、

男女別湯への施設改修に伴う費用の問題も障壁となったようです。



 



東京の場合ですと、明治21年に銀座に湯屋改良請負会社が設立されて以降

急速に近代的で‘道徳的’な銭湯が増え、混浴風呂(男女入り込み湯)は

ようやく姿を消していったそうです。


最近では外国人観光客の間で、日本の銭湯もおおいに注目を集めている

そうで、幕末期に外国人を驚倒させた銭湯風呂も今では日本のおもてなしと

なりました。

 

宜しければ戦国・幕末グッズの侍気分ホームページも是非ご覧ください。

http://samuraikibun.com/