いわゆる歴史系のテレビ番組が好きでよく見るのですが、強く印象に残っているものがあります。かなり以前に放映されたものですが、NHKの歴史ヒストリア。真田幸村を取り上げたもので、幸村が故郷上田に送った手紙が紹介されました。

 

「せっかく頂ける焼酎ですので、どうか中身がこぼれないよう口をよく締めてください」

「最近は寄る年波で、髭も白くなり、歯も抜け落ちてきた」

 

ゲームキャラ、アニメにも数多く出演?する人気者の真田幸村のイメージとは全く異なる手紙の内容に驚きました。

 

 

 

「 戦国Basaraより」

 

 

手紙は昌幸、幸村の真田父子が惨敗を喫した関ヶ原合戦に連座した罪により処刑されるはずのところを幸村の兄信之の尽力で死一等を減ぜられ、高野山に流罪、その後移った山麓の高野山領である九度山での配流時代に書かれたものでした。

 

幸村は34歳から48歳まで実に14年間もの長い期間にわたって隠忍の日々を過ごします。

実際幸村の九度山での生活ぶりを伝える資料は乏しく、そこに真田十勇士などの伝説も生まれました。

 

幸村は幽居の日々をどう過ごしていたのでしょうか?

大阪の陣であれほどの華々しい活躍をした幸村ですから、「情勢分析に余念がなかった」、

「上記の手紙も徳川を油断させるためのもの」であったなどの見方もあります。

ただ14年はあまりにも長い。いわば働き盛りの人生の期間を幽居の身で過ごさねばならなかった幸村の心情は決して穏やかなものではなかったはずです。

豊臣側に請われ大阪城に入城した時、幸村には心中大いに決するものがあったでしょう。

 

武将にとりその名を後世に留めることがその宿願であったなら、400年もの後の時代の人々の気持ちを高揚させる真田幸村はある意味‘日本一の幸せな兵’だったような気がします。

 

 真田幸村Tシャツ

 

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