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淀殿と悲しい秀吉の手紙  [戦国]

 

 淀殿.jpg

 淀殿肖像画

 

秀吉は史上例のない破格の出世をする。

 

尾張中村の土民の子せがれとして生まれ、わずか一代で

関白、太閤へと昇進。

 

英雄はただ一代でおわる。

秀吉の死後わずか17年で豊臣家は滅亡します。

 

その出自のため譜代の重臣を持たず、数少ない直臣団も武功派と文治派

に分裂。

脆弱な家臣団しか持てなかったことが豊臣政権短命の要因とされる。

 

秀吉子飼いの武将たちは家康の計略にはまり、関ヶ原の戦いでは東西に

分かれ対立、豊臣家滅亡を招く。

 

 

 秀吉が五大老に宛て、幼い秀頼の行く末を案じて書いた手紙が残っています。

 

「秀よりの事 なりたち候やうに 此かきつけ しゆ(衆)として

たのミ申し候 なに事も 此ほかにわおもいのこす事なく候 かしく」

 

(秀頼のこと 成り立つように この書付 五大老衆に頼みます。

 この他に思い残すことはありません)

 

「辺々秀よりの事 たのミ申し候 五人のしゆ たのミ申し候」

 

(かえすがえすも秀頼の事お頼み申します五人の衆なにとぞ頼みます。)

 

秀吉は病床に伏すと、五大老(徳川家康、前田利家、毛利輝元、

上杉景勝、宇喜多秀家)、五奉行(前田玄以、浅野長政、増田長盛、

石田三成、長束正家)にたいし、幾度となく秀頼に忠誠を尽くす旨の

誓書を差し出すよう求めます。

 

恐らくは将来の豊臣家臣団の分裂を予見していたであろう秀吉は

しゆ(衆)にたいし何度となく、結束して秀頼の将来をもり立てるよう

懇願したのです。

 

慶長3年8月18日、秀吉死去。この時秀頼はまだ6歳の幼子でした。 

 

関ヶ原の戦いが東軍の勝利に終わり、老獪なる家康の天下獲りが進展。

すべては家康の画策の中に事が運ばれます。

「徳川の天下を万全のものとする!」

大坂方の事実上の最高権力者は淀殿で、外交上の主導権を握って

いました。

 

大坂方の外交手だては拙劣で、ただ家康に翻弄され続けます。

 

頼みとする将も今は亡く、家康に対抗できる人材もいない。

 

慣れぬ外交の駆け引きから心労が高じ、時に病に伏しながらも淀殿は

豊臣存続のため、秀頼を守るためのぎりぎりの交渉をおこない、

必死の策を講じます。

 

大規模な神社仏閣の造営をおこない寺社勢力の取り込みをはかり、

あるいは諸大名に懇切を極めた手紙を送り助力を願う。

徳川と豊臣共存の道を探ります。

 

慶長19年11月、大阪の陣が開戦。

 

淀殿は戦国の世の女性らしく、鎧を身に着け軍議の席に出て将兵を

鼓舞します。

 

言われるように淀殿の軍議への臨席が、真田幸村や後藤又兵衛など

名だたるつわものたちの軍略を生気ない妥協的な作戦に変え、大坂方の

敗北をさらに決定づけたかもしれません。

 

あるいは、秀頼の命を守る事を至上の願いとする淀殿と、華々しい武辺

の最期に悲願をかけた幸村や又兵衛とではその拠るべき覚悟が異なって

いたのかもしれません。

 

慶長20年5月7日の深夜、大坂城は落城。

 

淀殿がその生涯に経験する3度目の、そして最後の落城となった。

 

翌5月8日、淀殿は秀頼とともに自害する。

 

「秀よりの事 たのミ申し候 此ほかにわおもいのこす事なく候」

 

 

侍気分のホームページ宜しければご覧ください。

http://samuraikibun.com/


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コメント 8

司馬亮

幸村や又兵衛とは覚悟が違ったのかな、と想像しています。
秀長がいれば、また違ったかもしれないですね。
by 司馬亮 (2014-03-04 00:01) 

アナログ侍

司馬亮さん、コメント有難うございます。
同感です!秀長がもう少し生きていれば、豊臣家の運命もかわっていたかもしれませんね。
by アナログ侍 (2014-03-04 01:04) 

風来鶏

ご訪問並びにnice!ありがとうございます。
今度共、よろしくお願い申し上げます。
by 風来鶏 (2014-03-04 23:37) 

アナログ侍

風来鶏さん
今晩は。
こちらこそどうぞ宜しくお願いします。
by アナログ侍 (2014-03-05 01:01) 

たりらんらん

nice!ありがとうございます!!

お店のサイトも拝見しました。
ユニークで素敵なものがいっぱいですね。

「アナログ侍」というお名前もブログの記事も
扱っている商品も、
とても素晴らしいです。
by たりらんらん (2014-03-05 06:55) 

アナログ侍

たりらんらん さん
お褒め頂きまして有難うございます。
とっても励みになりました。
どうも有難うございます!
by アナログ侍 (2014-03-05 10:25) 

aya_rui

戦というものが全ての不幸の始まりではあるのかもしれませんが、
勝っても負けても、幾多の犠牲が払われたこと…その上に成り立つ事には、悲劇はつき物ですね。
秀吉は三武将の中で、私としては一番好感の持てる人ですが、それでも完璧な訳では勿論無い部分もあって、天下をとるという事がそうさせるのか?悔しい思いもありますが、
それでも滅びた事が、人脈にあるのか、采配にあるのか…全てが運命であり宿命だったのでしょうかね。
by aya_rui (2014-03-15 13:26) 

アナログ侍

aya_ruiさん
コメント有難うございます!
そうですね。勝った側だけではなく、負けた側にも正義はあるはずですから、悲劇はつきものですよね。秀吉が残した手紙を読むと実に情にあふれた魅力的な人柄が感じられますね。ただ晩年の秀吉はどうしてあんなにも・・・。この不思議については多くの小説、評論がいろいろな理由を探っていますよね。
by アナログ侍 (2014-03-15 19:47) 

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